基本情報
・カトウリョータ
・作曲家・編曲家・ドラマー
・1985年3月15日生まれ
〈実績〉
・中田敦彦のYouTube大学 曼陀羅東京『成仏させちゃうぞ』 作曲・編曲
・中田敦彦のYouTube大学 ED曲 RADIOFISH 『7th Color』 作曲・編曲
・エガちゃんねる オープニング曲・エンディング曲 作曲・編曲
・日向坂46『三輪車に乗りたい』 作曲・編曲
・遊助『パイナップル』 作曲・編曲
・神谷浩史『Summer Strom』 作曲・編曲・ドラム・コーラス
・22/7『カントリーガール』作曲・編曲
・22/7『神様に指を刺された僕たち』作曲・編曲
・EDiDAN-BATTLE BOYS『君のために』 作曲・編曲
・anderlust『Happy Birthday To You』 作曲
・AIMI(ex:ステレオポニー)『Tick-Tack』 作曲・編曲
・ショートフィルム『コクのある小屋』ED 作曲・編曲・作詞
・CODE-V ライブOP 作曲・編曲
・Tokyo ROUGEミュージカル 挿入歌『Hidden Fire』 作曲・編曲・作詞
・FUJITSU CM 「人はICTと、何をかなえるだろう。」獺祭篇 ドラム演奏
・ファンキー加藤主演映画『サブイボマイク』劇中歌 『春雄の歌』 ドラム演奏
etc..
〈略歴〉
中学生でドラムを始め、大学生でプロドラマーを目指す。
プロとして仕事を始めるも、自分の強みがまったくいかせず絶望。
28歳から作曲に全振りし、32歳で作曲家・編曲家としてプロデビュー。
現在も現役プロ作家である。またボカロP・「とるそ」としても活動。
WebマーケティングやSNSでの活動にさらなる活路を見出し、日々挑戦中。
カトウリョータってどんなヤツ?このブログで何を伝えたいの?って疑問をもった方はぜひ下記を読んでもらえればと思います。人生のすべてを書いてきました!
〈YouTube・SNS〉
YouTube
youtube.com/channel/UCbnouGP_0IYvypYh2z7bSGw
TIKTOK
tiktok.com/@torso_music
幼少期:家庭環境と吃音症で悩んだ子供時代
僕は栃木県で生まれました。
父は県議会議員・母はプロの人形劇団の団長という、すこし変わった両親。
そして妹が二人います。
性格はひっこみ思案でひとりでいるのが大好き。
そして幼少期から中学まで、なんとなく自分に自信が持てずにいました。
そんな性格になっていたのは、父親の影響が大きかった気がします。
父は職業柄外面はいいのですが、家庭では短気でいつもイライラしていました。
なかなか家にも帰ってこず、帰ってきたと思ったら酔っ払っていて気に食わないことがあると家族に当たり散らしていました。
「虐待を受けている子供は、親が帰ってきたときの車の音がわかる」なんて言いますが、気持ちがすごくわかります。
虐待は受けていないまでも、父の車の音がするとなんとも言えず嫌な気分になったものです。
また、小学校高学年になると吃音症(言葉がうまくでてこなくなる症状)を発症し、会話でのコミュニケーションに苦手意識を持つようになりました。
小学生は無邪気ですが残酷でもあります。思ったことを素直に言い放ってしまう。
言葉がつかえている僕を同級生はからかい、自己肯定感はどんどん失われていきました。
家庭環境や吃音症の影響で、僕の性格はどんどん卑屈になっていきました。
中学時代:ドラムとの出会い
中学校にあがっても状況が良くなることはありませんでした。
そんな環境をふりはらうように、中学時代は勉強に打ち込んでいきました。
容量が良いわけではなかったので、必死に勉強して成績はいつも上位10番以内。
学級委員長も3年間がっつり務める「ザ・真面目」な中学生でした。
しかし、相変わらず自分に自信が持てないことは変わりませんでした。
陰気な性格が災いしてか、クラスでいじめにもあいました。
常に自分のアイデンティティを探しているような時期だったと思います。
そんな僕を変えたのは「ドラム」との出会いでした。
きっかけはL’Arc〜en〜Cielにどハマりしたこと笑
そして親戚のおじさんが少しだけドラムを叩けたことでした。
おじさんは音楽スタジオに連れて行ってくれ、ドラムを教えてくれました。
ドラムを覚えてからとにかく叩くのが楽しく、暇さえあれば練習していました。
そして中学3年生の学園祭。僕はバンドを組んで生まれて初めて人前で演奏することになります。
あのときの興奮や自己肯定感が高まっていく感じは今でも覚えています。
音楽って最高だなと思うと同時に、
苦手なことがあっても、得意なことを突きつめれば人に喜んでもらえて自信もつくんだ
ということを学びました。
高校~大学生:サボり散らかした高校時代と、プロドラマーを目指すと決意した大学時代
音楽が大好きになった中学校時代ですが、プロの音楽家になろうとは微塵も思っていませんでした。
「いやいやさすがにギャンブルすぎるでしょ」
クソがつくほど真面目な性格だった僕にとって、ミュージシャンという職業は選択肢にすら入りませんでした。
高校受験をくぐり抜け県内トップレベルの高校に入学したまではよかったのですが、ここで完全に糸が切れてしまいました。
「あれ、俺なんでこんなに勉強頑張ってるんだっけ…?」
行きたい大学も就きたい職業も将来の夢も何もなかったあの頃の僕。
高校受験という壁を越えた途端、目標を見失って燃え尽きてしまいました。
「目的もなしに必死になって勉強なんてやってられない!」
「今まで我慢した分、遊んでもいいんじゃないか?」
鬱屈した中学時代の反動から、高校時代は完全にチャランポランになってしまいました。
もちろん成績は中学時代とは打って変わって悲惨なことになっていました…。
プロドラマーを目指して上京
高3までそんな体たらくは続き、受験勉強はほぼしませんでした。
でも就職もしたくないし、やりたいこともない。
ひとまず4年間の猶予を求めて地元のFラン大学に入学しました。
学部も響きがっこいいからという理由だけで法学部に入りました笑
本当に投げやりに過ごしていた時期だったと思います。
しかし、適当に入った大学で軽音部に入ったことがその後の人生を大きく左右します。
法学部に入ったものの、法学に全く興味の持てなかった僕は再び音楽にのめりこみます。
授業は単位をとれる最低限だけ出て、あとはすべてドラム練習やバンド活動にあてました。
その甲斐があってか、周辺の大学では一番上手いドラマーとして認知されるようになります。
大学3年になったころ、「プロドラマーとして仕事をしてみたい」と思うようになりました。
大学と並行しつつ、つのだ☆ひろさんが主催しているワイルドミュージックスクールにダブルスクールで入学。
東京に通いながら、本格的にプロドラマーを目指すことになります。
23歳~28歳:上京してプロドラマーに
プロドラマー&講師として活動
24歳で上京し、プロを目指しての音楽活動をスタートさせます。
上京してすぐはとても順調にキャリアを積んでいたと思います。
自身のバンドをやりつつ、バックバンドの仕事でギャラをもらえるようになりました。
また26歳のときに島村楽器の講師試験にパス。ドラム講師として勤務しました。
28歳になるころには、音楽の仕事だけで生活ができるようになっていました。
ここで一つ言っておきたいことは、僕には「特段音楽の才能に秀でていたわけではない」ということです。
ドラムの生徒をのべ200人以上は見てましたが、明らかに僕より才能があるなと感じることも多くあります。
ではなぜ僕はプロの音楽家になれたのか。
それは「知識と実践は才能より尊い」というモットーによるところが大きいと思っています。
音楽学校に入る前はドラム演奏に関する正しい知識もなく基礎力もなかったので、伸び悩んでいました。
しかし学校で知識を学び実践することで、嘘のように壁を突破できることができました。
この経験から、「才能がないと嘆く前に知識をつけ実践してみよう」と考えるようになりました。
しかし、演奏で仕事をすることへの絶望と挫折
順風満帆に思えた音楽活動でしたが、29歳あたりを境に暗雲が立ち込めます。
まず、「バックバンドの仕事がまったく肌に合わない」という問題が出てきました。
演奏の現場で活躍するひとは演奏能力はもとよりコミュ力が非常に高く、誰とでもすぐ打ち解けられるタイプが多いです。
ライブMCを担当する機会もあるので、人前でのトークスキルも求められます。
吃音症を恥と思っていた当時の僕にとって、しゃべりやコミュニケーションスキルを求められることはかなりの苦痛でした。
それに仕事自体も単発の演奏仕事が多く、ギャラも安く、雑に扱われることが多い。
また、バックバンドの仕事に嫌気が指すのと同時期に力を入れていた自分のバンドが解散してしまします。
この頃から、演奏仕事をすることに対しての情熱もだんだん薄れてきてしまいました。
しかし同時に新たな目標ができます。
それは「プロの作曲家」になることです。
29歳~34歳 プロ作曲家としてメジャーアーティストに楽曲提供
元々バンドでは僕が作曲をしていました。
実は上京したあたりから作曲に興味を持ち始め、コツコツ勉強していたのです。
一人で黙々と作業するうちに、
「僕の強みは自分のテリトリーでコツコツ積み上げてくことだ」
と感じ始めていました。
演奏の現場ではコミュニケーション力や瞬発力を求められるので、僕の強みとは正反対です。
何より作曲は強烈に興味をそそられましたし、いい作品ができることが他に代えがたく幸せでした。
作曲家として働く方法はないのか?真剣に考え始めました。
ネットで調べたり、ミュージシャンの仲間に相談するなかで「職業作家」という職種があることを知りました。
職業作家とは、主にアーティストに楽曲を提供する裏方の仕事です。作家事務所に所属し、レコード会社が主催するコンペ(コンペティション・選考会)に参加します。
そこで選考に通ると、メジャーでリリースしているようなアーティストに曲を提供できる。当時の僕にとっては夢のような職業でした。
なんとか作家事務所に所属し、コンペに参加したものの、出せども出せども通らず…
自分が自信をもって提出した曲に対して反応がないことが何十回と続き、
さすがにメンタルがどうにかなりそうになりました。
この窮地を救ってくれたのはやはり、「知識と実践は才能より尊い」という座右の銘でした。
「絶対に突破口はある。まだできないだけで、知識と実践で必ずたどり着ける」
曲のクオリティアップはもちろんのこと、
よりシステマチックな作曲の方法を作り出したり、コライトをしてみたり、より可能性のありそうな事務所に移籍したりとあらゆることを試しました。
その結果、32歳のときに初めてメジャーアーティストに楽曲提供することができました。
それを皮切りに、日向坂46・神谷浩史・えがちゃんねるなど有名なアーティストにも楽曲を提供できるようになりました。
それ以来、知識を得てそれを実践していくことは僕のいちばん大事なモットーになりました。
35歳~37歳:コンペというシステムに不信感
コンペというシステム、楽曲提供だけしている職業作家という職業に危機感を持つ
実績もで始め未来は明るいように思えました。
しかし、心の奥底ではずっと不安が募っていました。
それは「コンペ」というシステムそのものについての不安です。
ある程度実績を出しても結局はコンペに参加するしかない。
人気のあるアーティストのコンペには1000曲近く集まると言われています。
一曲しか選ばれないのが普通ですので、単純計算で0.1%の確率。しかも大御所やよりディレクターと近い作家も参加すると考えれば勝率はもっと低くなるかもしれません。
そして今はCDが売れない時代です。
作曲印税の大きな部分をCD売上が担っているので、いざ熾烈なコンペをくぐり抜けても雀のなみだほどの報酬しか貰えないこともありました。
しかも職業作家を続けていく限り、コンペからは逃げられないということを徐々に知ることになります。
例えば活動していくうちに、大きな実績を出している先輩作曲家さんに何人もお会いできました。
曲名やアーティスト名を出せば誰もが知っているような、すごい実績をもつ人たちばかり。
でも、そんな先輩方でさえ宝くじを買うようにコンペに参加していました。
そんな業界の闇をみて、静かな絶望を感じました。
「このままコンペだけやっていても未来はない。これからは自分というブランドをもっと強くしなければ生き残れない」
そんな思いがふつふつと湧いてきます。
38歳~:Webマーケティングを学び、さらに先へ
Webマーケティングスクールに参加
活路を模索しているうちに目に止まったのは、ネットで活躍するアーティストたちでした。
彼らは自らのコンテンツで勝負し、自らのブランドを強くすることで生きている。
僕も彼らのように生きてみたい!
僕は作曲家としての活路をネットの中に見出します。
様々な活動をしていくなかで、中田敦彦さんのオンラインサロンに入り、信頼を勝ち取り、YouTube大学やRADIO FISHの楽曲を任せてもらえるようになるなど、着実に実績を増やしていきました。
またネットで発信活動をしていくうちに、「Webマーケティング」の存在を知ります。
Webマーケティングを簡単に説明すると、
「人にどんなコンテンツを届け、その未来を良くするか」という命題を突きつめた技術です。
これは今の自分に絶対的に必要な技術だ!
そう確信した僕は日本トップクラスの講師が主催するWebマーケティングスクールに参加し、現在に至ります。
音楽活動とWebマーケティングをかけ合わせ、自らの手でヒットを生み出してみたい。
それが今の夢であり目標です。
音楽のヒットコンテンツに必要なもの
最後にひとつ。音楽をヒットさせることについて、僕の考えを書かせてください。
音楽でヒットコンテンツを生み出すのに必要な要素とは何でしょうか?
僕は大きく分けて3つあると思っています
①コンテンツの質
②コンテンツの届け方
③時の運
③時の運はとても大切な要素ですが、残念ながらコントロールできません。
しかし、①コンテンツの質と②コンテンツの届け方なら自らの意思で学ぶことができます
このブログでは、①コンテンツの質について、現役作曲家の知識をフルにつかって記事を書いていきます。
サイトのコンセプトについてはこちらに詳しく書きました。
また②コンテンツの届け方とは、Webマーケティングを学ぶことそのものです。
これは僕もまだまだ勉強中ですが、クリエイターの皆様に使える知識をこのブログにてアウトプットしていこうと思っています。
長くなりましたが、これが僕の自己紹介を終わりにしたいと思います。
ではまた!